Shotaさんの群馬県〜長野県の旅行記

桐生の町並みと城址・古刹、軽井沢の教会
- 1日目2023年8月4日(金)
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10:00-11:00
さかもと治療院(碑文谷)
オステオパシー(骨治療)の治療院。腰の違和感と下肢の痺れを診ていただく。下肢は細かい炎症を起こしているとのことで、その治療を・・・。
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12:00-13:00
しのみやクリニック(秋葉原)
体調の報告と処方の後、観戦されたフルトン VS 井上尚弥戦の話しを臨場感タップリに聞かせていただいた。
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14:00-14:00
平塚城址(北区上中里)
平塚城は鎌倉期に、源義家に属していた豊島近義が築いたとされる平山城。豊島氏は秩父氏の庶流で秩父別当武基の弟ないしは次男とされている武常がこの地を開発して豊島氏を称したといわれる。城址には平塚神社が比定されている。『日本城郭大系 5』
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14:00-14:00
平塚神社・木鼻
平塚神社本殿の見事な木鼻。神社は源義家、義綱、義光を祭神とする。
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15:00-15:00
志村城址(板橋区志村)
志村城は千葉隠岐守の城であったとされるが、築城の詳細は不明。熊野権現は城の鎮守社として千葉氏が熊野から勧請したものであると伝わる。『日本城郭大系 5』
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15:00-15:00
熊野神社・絵馬館
本殿脇にある絵馬館には奉納された色とりどりの絵馬が掛かっている。
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15:00-15:00
下総国を追われた千葉実胤・自胤兄弟が、武蔵国の太田道灌の助けにより実胤は下総国に近い石浜城に拠り、自胤が康生2年(1456年)赤塚城を築いた。『日本城郭大系 5』
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16:00-16:00
寿能城址(さいたま市大宮区)
寿能城は、岩付(槻)城主太田美濃守資正の四男潮田出羽守資忠が永禄3年(1560年)に築いた平城。『日本城郭大系 5』
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16:00-16:00
寿能城址(さいたま市大宮区)
城は見沼の谷に面する舌状台地上に立地、西側が台地と地続きになり、北・東・南の三方は谷に面していた。『日本城郭大系 5』 現在は寿能公園になっており、丁度祭りの準備が進められていた。
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17:00-17:00
菖蒲城は、鎌倉を追われて古河公方を称した足利成氏が、康生2年(1456年)上杉勢に対する最前線として金田式部則綱に築かせた平城。『日本城郭大系 5』
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17:00-17:00
菖蒲城址(久喜市)
城の北・西・南は低湿地。鎌倉期から室町期の板石塔婆や須恵器などが出土しており、この地が鎌倉期以来、豪族の居館地であったことがわかる。『日本城郭大系 5』
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17:00-17:00
内藤氏陣屋門(久喜市)
内藤氏の陣屋は天正18年(1590年)旗本内藤四郎左衛門正成が構えたもの。『日本城郭大系 5』 この門は陣屋の裏門と伝わる。
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17:00-17:00
内藤氏陣屋門(久喜市)
陣屋は菖蒲町の南西端、元荒川を隔て桶川市を望む台地上にあったが、「菖蒲城址あやめ園」に移築された。
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19:00-23:00
伊勢崎天然温泉ハナホテル伊勢崎(伊勢崎市)
天然温泉大浴場のあるビジネスホテル。早速、汗で煮しめたようなシャツを脱いで温泉にゆったり浸かった。夕食はスシ弁。
- 2日目2023年8月5日(土)
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00:00-08:00
伊勢崎天然温泉ハナホテル伊勢崎(伊勢崎市)
疲れていたのでよく眠れるかと思ったが、ベッドが少し硬かったせいか夜中に目が覚めてしまった・・・。それでも朝方ストンと眠って、朝食。8時過ぎに出発。
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08:00-09:00
桐生明治館は明治初期(1878年)の擬洋風建築。衛生所兼医学校として前橋に建てられたものが移築され、資料館となっている。
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09:00-09:00
上毛電鉄 西桐生駅
西桐生駅は昭和3年(1928年)開業の上毛電気鉄道上毛線の終点駅。マンサード屋根の洋風建築はなかなかユニーク! 映画の舞台にもなっている。
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09:00-10:00
桐生城址(桐生市)
桐生城は藤原秀郷の裔、足利敏綱麾下の桐生六郎が治承期(1180年頃)に築いた地域城。観応元年(1350年)桐生国綱が同域に檜杓山城を築城。尚、一族内の分裂・反目により弱体化したところを元亀3年(1572年)由良成繁の急襲にあった親綱は佐野に逃れ、城は由良氏の手に落ちた。『日本城郭大系 4』
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09:00-10:00
碧雲寺(桐生市)
上記遊歩道が整備されている城域に大慈山碧雲寺がある。 館址、核堡、遠堀、堡塁などが残る。『日本城郭大系 4』
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10:00-10:00
西方寺(桐生市)
梅田山西方寺は安貞元年(1227年)宇都宮頼綱建立の臨済宗建長寺派の寺院。桐生氏の菩提寺であり、桐生氏累代の墓がある。阿弥陀如来を本尊とする。
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10:00-10:00
西方寺 桐生塔(桐生市)
桐生塔(石造十三重塔) 当寺院発足満六百年、桐生氏滅亡四百二十年を期して、平成4年(1992年)造立。
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10:00-10:00
鳳仙寺(桐生市)
桐生山鳳仙寺は天正2年(1574年)桐生城主由良成繁が建立した曹洞宗の寺院。釈迦如来を本尊とする。
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10:00-10:00
鳳仙寺 山門
山門は宝永元年(1704年)建立。三間一戸の二階建て楼門。主柱4本、控柱8本(八脚門)で構成。なかなか風格を感じさせる楼門である。
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10:00-10:00
鳳仙寺 仁王像
仁王像はこの南方増長天、右側の東方持国天ともに彫りが細かく、表情が豊かである。
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10:00-10:00
鳳仙寺 本堂
本堂は享保11年(1726年)以前の建立。桁行9間、梁間8間、八室構成方丈形式で曹洞宗本堂の形式をよく伝えているとされる。
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10:00-10:00
現在の桐生市は、桐生天満宮を基点として成立している。神社は景行天皇期(71-130年)創建と伝わり、天穂日命を主祭神とする。境内では骨董市が開かれていた。
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10:00-10:00
桐生天満宮 拝殿
南北朝初期、桐生氏の祖桐生綱元が現所在地に移し、菅原道真を合祀して天満宮となった。現在の社殿は寛政元年(1789年)建造。
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10:00-10:00
桐生天満宮 社殿の彫刻
社殿に施された彫刻装飾は、日光東照宮の修復や榛名神社の彫刻を手掛けた名工・関口文治郎の手になるもの。実に細緻で見事!
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10:00-10:00
桐生市本町付近
本町付近に数多く残っている商家の建物。
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11:00-11:00
有鄰館は享保2年(1717年)創業の矢野本店の蔵群である。酒・醤油・味噌などの醸造業が営まれていた頃の建物の枠組みを残し、新たに多目的空間として活用されている。
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11:00-11:00
有鄰館 レンガ蔵
有鄰館を特徴づける「レンガ蔵」。煉瓦の壁体や入口の石組、木造の和小屋組など当初の姿を残している。
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11:00-11:00
有鄰館 蔵外壁
酒蔵・塩蔵の外壁は板張り・漆喰で江戸末期から大正期の建築の雰囲気を味わわせてくれる。
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11:00-11:00
レンガ蔵内部
レンガ蔵の内部は梁の木組みなどが残されており、多目的ホールとして活用されている。
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11:00-11:00
有鄰館 からくり人形座
敷地内の「からくり人形芝居館」では、江戸初期、寛文2年(1662年)大阪で始まった竹田出雲のからくり芝居を引き継ぎ、「曽我兄弟夜討」「助六由縁江戸櫻」「巌流島」などの演目を上演していた。
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11:00-11:00
夏祭り会場
桐生歴史文化資料館前の広場にヤグラが組まれ、屋台が並んで、祭りの準備は万端!
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11:00-11:00
「柳生鉾座」では明治初期に作られた鉾や祇園屋台、人形(スサノオノミコト)を常設展示している。こういう雰囲気の建物が残っているのがいい。
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11:00-12:00
桐生は1300年余の伝統をもつ織物産地。当記念館は1934年、当時の桐生織物同業組合の事務所として設立された。
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11:00-12:00
織物記念館
桐生織物の資料や初期の織機などの展示とともに桐生織物製品の販売を行っている。
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12:00-12:00
高津戸城址(みどり市)
渡良瀬川湾曲部の高津戸峡東岸の崖上にあった高津戸城は、観応期(1350年頃)山田吉之の子孫によって構えられた山城。観応2年(1351年)桐生国綱により落城。『日本城郭大系 4』
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12:00-12:00
山上城址公園(新里町)
山上城は大永期(1521-28年)足利俊綱の弟高綱の裔、山上氏が築いた丘城。『日本城郭大系 4』 現在、城址公園として整備されている。
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12:00-12:00
山上城址(新里町)
城は赤城山南麓の低い舌状丘端に築かれ、北から北郭、本丸、二の丸、三の丸と並び、周囲に越郭、帯郭を配し、西に空堀を隔てて帯郭が付く。『日本城郭大系 4』
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12:00-13:00
膳城址(前橋市)
膳城は嘉吉期(1441-44年)善氏が赤城山南麓に構えた丘城。上記山上城と別城一郭を構成している。『日本城郭大系 4』
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12:00-13:00
膳城址公園(前橋市)
膳城址公園には天守を模した遊具が作られている。さすがに炎天下、人っ子ひとりいない・・・。 郭址、空堀、土塁、虎口址が残る。『日本城郭大系 4』
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14:00-14:00
少林山達磨寺は領主酒井雅樂頭忠挙が元禄10年(1697年)前橋城の裏鬼門を護る寺として開創したと伝わる。
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14:00-14:00
本堂(霊符堂)には北斗星を神格化した北辰鎮宅霊符尊が祀られている。 天明3年(1783年)に起きた浅間山の噴火による飢饉に苦しむ農民救済のため、9代目住職東嶽が当寺開山心越の描いた「一筆達磨坐禅像」をもとに木型を彫り、張り子のだるまを作らせたのが「縁起だるま」の始まり。本堂の広縁に大小さまざまなダルマが奉納されている。
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16:00-16:00
アレクサンダー・クロフト・ショー(1846-1902年)の胸像。ショーはカナダ出身の聖公会の宣教師。明治6年(1873年)来日、慶應義塾で教鞭を執りながら宣教活動を 行う。明治18年(1885年)頃、リウマチを患っていたショーは軽井沢に魅了され、避暑地とした。これ以降、軽井沢が避暑地として知られるようになる。
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16:00-16:00
ショーによって創設された軽井沢最古の教会。会堂の原形は明治28年(1895年)に造られ、大正11年(1922年)まで増改築がなされ現在に至る。日本聖公会中部地区に属する教会。簡素なこじんまりとした教会。
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16:00-16:00
聖パウロ・カトリック教会は昭和10年(1935年)英国人のワード神父により設立。非信者のための挙式という道を開き、キリスト教式結婚式が普及するきっかけとなった教会である。
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16:00-17:00
軽井沢高原教会の原点は、大正10年(1921年)に星野温泉敷地内の材木小屋で開かれた「芸術自由教育講習会」である。会堂入口には「星野遊学堂」の名が掲げられている。
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16:00-17:00
「石の教会 内村鑑三記念堂」は明治・大正期のキリスト教指導者内村鑑三の顕彰を目的としてアメリカ人建築家ケンドリック・ケロッグにより建てられたユニークな教会。ちょうど結婚式が終わったところで、会堂内に入ることができた。
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16:00-17:00
地下にある内村鑑三資料室。内村鑑三(1861-1930年)は高崎藩士内村宜之の長男。東京英語学校(東京大学予備門)から札幌農学校に進み、そこでキリスト教に入信。渡米してアマースト大学、ハートフォード神学校に学び、伝道者となる。
桐生の町並みと城址・古刹、軽井沢の教会
1日目の旅ルート
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